2025年2月15日(土)
「忙しいんじゃないの(ほかにやることあるでしょ)⁈」って、まぁたしかにそうなんですけど、月に1回カレーをつくって人と語らうというのは、もはやぼくにとっては大切なリフレッシュの機会で、(スパイスを吸い込むから)健康増進にもつながっているわけで(あ、今月は2回目でした)。
きょうも、あたらしい出会いや再会がありました。11回目の「わたしとカレー」でした。19本の原稿が集まって、これまでの分とあわせると198本に!



「忙しいんじゃないの(ほかにやることあるでしょ)⁈」って、まぁたしかにそうなんですけど、月に1回カレーをつくって人と語らうというのは、もはやぼくにとっては大切なリフレッシュの機会で、(スパイスを吸い込むから)健康増進にもつながっているわけで(あ、今月は2回目でした)。
きょうも、あたらしい出会いや再会がありました。11回目の「わたしとカレー」でした。19本の原稿が集まって、これまでの分とあわせると198本に!



10年前に出版した『つながるカレー:コミュニケーションを「味わう」場所をつくる』(フィルムアート社, 2014)は、どうやら在庫がなくなったようだ。スパイスと調理器材とともに全国のまちを巡って、そのとき・その場の流れに身をまかせて、出かけた先の食材でカレーをつくる。「ひととであい まちでつくる 旅するカレー」(「カレーキャラバン」のコンセプト)…ぼくの日常生活のなかで、そんな旅がくり返されていた。
「カレーキャラバン」は、2019年の秋を最後に、無期限の活動休止となった。COVID-19の影響で、この4年近くは身動きが取れず、結局のところは(いろいろな事情があって)、以前のような活動には戻れなくなった。
そして、今年の4月から「カリーキャラバン」の活動を開始した。「カレー」と「カリー」。紛らわしくて申し訳ないのだが、いま書いたとおり、「カレーキャラバン」は無期休業である。バンドでいえば、解散はせずにソロ活動に入るというやつで、「カレーキャラバン」の精神は引き継ぎつつ、(似ているけどちがう)「カリーキャラバン」なのである。
今年の春から夏にかけて、4回、「カリーキャラバン」として活動した。墨田区(東京都)にオープンした「オラ・ネウボーノ」で3回、美波町(徳島県)で1回。少しずつだが、日常生活のなかに、またスパイスが戻ってきた。 「オラ・ネウボーノ」は、あたらしいタイプのシェアキッチンで、「グランドレベル」(田中元子さん+大西正紀さん)が手がけた場所だ、あの「喫茶ランドリー」から徒歩圏にある。この場所の面白さについては、ぼくではなく、主宰者である大西さんが(たぶん)書いているはずだ。ぼくが惹かれたのは、「まちのフードコート」というフレーズで、シェアキッチンでありながら、偶然の出会いがありそうな設えに見えたところだ。「カレーキャラバン」のときのように、通りがかりの人と一緒につくることはできないかもしれないが、誰が来るのか(そもそも来るのかどうか)わからないところがいい。もちろん設備は整っているし、なにより5月にオープンしたばかりなので、すべてがピカピカだ。直感的に、ここでカレーをつくってみたいと思った。
しばらく前に「ゆるさがあれば(8)」で書いたように(7年近く前の記事)、「オラ・ネウボーノ」は、当然のことながらきちんとしている。なにより、カウンターがあるので、「つくる人」と「食べる人」は物理的に隔てられる。だからこそ、その気になるともいえる。腕に自信のある人、いずれは店を持とうという人は、シェアキッチンで現場の感覚をつかむことができる。じぶんや親しい仲間うちだけで試作をくり返すのではなく、リアルな「食べる人」の反応を知ることができる。味を「世に問う」という意味では、シビアな実験の場所になる。
路上でつくるときには、通りすがりの人が手伝ってくれたり、不意の差し入れがあったり、いくつものハプニングがあった。「カレーキャラバン」では、毎回、その予期せぬ出来事を期待しながら旅を続けていた。だから、整えられたシェアキッチンは、だいぶちがう環境だ。施設を利用するわけだから、利用時間(営業時間)は、あらかじめ決まっている。キッチンはフロアの奥まったところにあるので、行きずりの人とは出会いにくい。むしろ、ちゃんと看板を提げて、気づいてもらう必要がある。シェアキッチンでカレーをつくるときには、いろいろと工夫が必要だ。
それでも、(ぼくにとって)「オラ・ネウボーノ」が魅力的なのは、フードコートのような設えだ。一つのフロアに、3つのキッチンがあって、同時に複数の人が利用することになる。だから、ぼくが奥のキッチンでカレーをつくっていると、横にはスイーツの店があり、入り口の近くにはコーヒーの店がある。そんな光景になる。その組み合わせは毎回変わるので、じつに楽しい。

写真:2024年6月15日(土)オラ・ネウボーノにて
5月19日(日)、6月15日(土)、7月20日(土)と、月に1回のペースで「オラ・ネウボーノ」でカレーをつくってみた。3回つくってみて、いろいろと気づくことがあった。(たとえば、ソロ活動をどのように展開するかについては、別の機会にくわしく書きたい。)
他の利用者は(おそらく、ぼくだけを除いて)、商売である。つまり、料理でもお菓子でもコーヒーでも、値段がついている。「カリーキャラバン」のカレーは、無料である。タイミングさえ合えば、タダでカレーを食べることができる。
「キャラバン」を名乗るからには、旅に出かけなくては、と思っている。5月の末には美波町(徳島県)でカレーをつくったが、最近は、もっぱら「オラ・ネウボーノ」で、月に一度のペースで活動を続けている。たんにカレーをつくるだけでなく、カレーをつくりながら、コミュニケーションや場づくりについて考えている。その意味で、シェアキッチンは、手を動かしながら思索にふけるための実験室のようなものだ。
「タダのランチはない」という言い回しがある。日本語だと「タダより高いものはない」というやつだ。うまい(美味い)話には注意しよう(きっと何か「裏」がある)という教訓をふくんでいる。*1
「タダのランチはない」という話は、もともとは、アメリカの酒場の「販売戦略」からきているという。ビールとともにランチがタダで配られるのだが、塩分が多くなっていて(ハムとかチーズとか)、客は、ランチを食べながらビールをたくさん注文してしまう。結局のところは、お金をたくさん使うという仕組みになっているのだ。
「カレーキャラバン」では、無料でカレーを配っていた。そのことにどのような意味があるのか、何のためにそんなことをしているのか、出先でたびたび聞かれることがあった。もちろん、「タダのカレー」に怪しさを隠せない人にもたくさん出会った。そんな道楽のようなことをしているから、たいしたカレーをつくることができないのだと、叱られたこともある。値段をつけてきちんと稼ぐつもりでカレーつくらないと、味を極めることはできないだろうという、極めて真っ当な意見だった。
『つながるカレー』にも書いたが、あるとき、自腹でカレーをつくってタダで配っていることについて、「楽しいなら続ければいい」と、背中を押された。オトナなら、趣味にお金をつぎ込むことはあるし、飲み会に参加したことを考えれば、ひと晩で5000円程度は(ためらいなく)使っているはずだ。当時、3人のメンバーで活動していて、毎回、一人がだいたい5000円を負担するかたちで「タダのカレー」を実現させていた。なるほど、月に1回くらい、自腹を切って趣味の活動を楽しんでいるのなら、わざわざ理由を考えなくてもいいのだ。たまたま、ゴルフや釣りではなく、路上でカレーをつくってタダで配っているというだけだ。
写真:2024年6月15日(土)オラ・ネウボーノにて
そんな声に激励されつつ、『つながるカレー』のなかでは、「ビジネスモデル」に対比させながら、ぼくたちの活動を「赤字モデル」ということばで語った。それは、一杯のカレーへの対価が、金銭的なやりとりではなく、知り合いができたり、楽しい会話があったりという交換・交歓によってもたらされるいう考えにもとづくものだ。金銭的には「赤字」だが、それに見合う「何か」をえていると考える。それが「赤字モデル」だ。
だが、いまあらためて考えてみると、「赤字」ということばを使うこと自体、金銭的な交換、等価交換をふまえて発想しているということだ。「売らなくていい」「売れなくてもいい」という姿勢は、よくよく考えると「ビジネス」として成り立たないことへの「後ろめたさ」のようなものが表れているようにも思える。おそらく、「赤字モデル」ということばではないのだ。黒字と赤字を両極とする軸を大きく転回させるか、あるいは別の軸をくわえて理解するということなのではないだろうか。
どうやらぼくは、10年分の「カレーキャラバン」の思い出にしばられていたようだ。どこかで、「あのころ」に戻りたいという想いがあったのかもしれないが、そんなことは不可能だ。皮肉なことに、そのことは、COVID-19が教えてくれた。
これからは、「カリーキャラバン」をとおして、あたらしい旅のしかた(場づくりの方法や態度)をつくってゆくのだ。「カリーキャラバン」の活動をとおして、「赤字モデル」に代わる、あたらしい理解を創造してみようと思う。
*1:もちろん、(ランチそのものには)値段がついていなくても、さまざまなコストがかかっているという示唆でもある。
キッチンでは、カレーをつくります。「それほどでもない、スパイスカレー」です。
朝から(10:00ごろ〜)、なかまと一緒に準備をしているはずなので、ぜひのぞきに来てください。冷やかし、励まし、待ってます。
2012年2月から「カレーキャラバン」というプロジェクトをすすめていて、これまでに80回、全国のいろいろなまちをめぐりながら、カレーをつくりました。なので、いちおう経験としては12年になります。(参考 → カレーキャラバンのあゆみ)
ただ、COVID-19の影響でこの4年ほどは休眠中、いろいろな事情もあって、現在メンバーは、ぼく一人になっています。そろそろ、また動き出したいというタイミングです。
ただし、「カレーキャラバン」は解散せず、「カリーキャラバン」として、ソロ活動をはじめます。(参考 → カレーからカリーへ。)
「カレーキャラバン」は、通りがかりの人にも声をかけて、一緒につくりながらおしゃべりをして、出来上がったら一緒に食べるというやり方でした。カレーはもちろんですが、ぐだぐだと話しながらつくるのが楽しみでした。↓こんな感じ。これを80回くらい続けていました(あらためてふり返ると,スゴい)。
(2018年11月の思い出:静岡市)
もうひとつ大切な、「カレーキャラバン」の思想は、フリーで配るという点にあります。つまり、「ふるまい」です。金銭的なやりとりをすると、その瞬間に「つくる人」と「食べる人」という関係を意識するようになります。
その不思議さや、無自覚にそれを受け入れている日常を、少しでも揺さぶることはできないだろうか。そんなことをずっと考えています。ぼくたちがつくったカレーを、お金と交換しなくてもいいはず。シェアキッチンは、そんなことを考えて試してみるのに理想的な場所です。
この試みも、基本的には(お金はいただかないという意味で)「フリー」でカレーを配るというものです。ただし、「わたしとカレー」というテーマで作文をお願いすることにします。※元ネタは、2016年2月の「カレーキャラバン」(番外編)。
【1】カレーは加藤(+なかま)でつくって準備します。たぶん、限定20食くらいになると思います。

(写真はイメージです。)
【2】カレーを食べたい人は、専用の原稿用紙があるので、「わたしとカレー」というテーマのもと、(その場で)作文を書いてください。

【3】書き上がったら、カレーを食べることができます。
金銭のやりとりはなく、カレーが「原稿料」になります。あらかじめ、(1) 原稿を提供すること(匿名・ペンネームも可)、(2) いずれ印刷・製本して公開されること について了承をいただくことになります。
【4】カレーを食べていただきながら、カウンター越しにおしゃべりします。
「激マズ」ということはないと思いますが、まぁそこそこのスパイスカレーになると思います。4年ほどブランクがあり、しかもソロ活動になってしまったので、大変不安です。
【5】カレーと交換した原稿は、ある程度集まったら、綴じてちいさな本(zine)にします。カレーによって生まれた出会いは、zineになって、ふたたびシェアキッチンに還ります。
【6】うまくいって(もろもろの調整をして)、可能であれば、月に1回くらいのペースで実施したいと考えています。
カレーキャラバンの精神を引き継いで「カリーキャラバン」をはじめるにあたって、これまでの旅路をふり返ってみた。数えなおしたら、(番外編を除いて)80回だった。
* ▲は番外編。
カレーキャラバン(2012年3月〜2024年3月)
カレーキャラバン(2012年3月〜2024年3月)|数えなおしたら、(番外編を除いて)80回だった。
2012年3月17日、墨田区のキラキラ橘商店街の一角でカレーをつくったのがきっかけで、「カレーキャラバン」がはじまった。あれから、ちょうど12年。まちかどで鍋を炊いて、みんなでつくってみんなで食べる、このシンプルで大切なことが「一番やってはいけないこと」になった。近づいてはいけない、しゃべってはいけない、一人で(独りで)食べよう。ようやく、一緒に飲んだり食べたりする時間が戻って来たものの、「カレーキャラバン」の活動は休眠中だ。
もちろん、長く続けていると、いろいろなことが起きる。いうまでもなく、「カレーキャラバン」のほかにも、やることがたくさんあるし、さまざまな場面での役割も変わる。ぼくは、キャラバンをはじめたころは40代(ギリギリ、ほぼ50歳)だったが、仕事が少し忙しくなって、さらに「ステイホーム」で窮屈な時間を過ごしているうちに還暦をむかえてしまった。でも、さすがに、このままではいられない。
あらためてふり返ってみると、あの疾走感はすごかった。とくに最初の数年はハイペースだった。だいたい、月に1回のペースで出かけていたし、(ちょっとじぶんでも驚きだが)毎週末という月もあった。とにかく楽しくて、意味や必要性などについて問いかける人はあまりいなかった。とてもシンプルなやり方で「場所」ができて、そこで人と出会い、おしゃべりをする。何をしているのか、見ればすぐわかる。コミュニケーションが生まれる「場所」への愛着が、つぎのカレーづくりへと駆り立てた。
ぼく自身は、大学教員という肩書きを持っているので、やがて「これは食をとおした地域活性の試みですか」などと聞かれるようになった。むしろ、意識的に大学での活動とは切り離していたのだが、「公共空間のあり方を考える社会実験」のような文脈で理解されることもあった。ヒドいときには、いっさい取材もせずに「学生と一緒にカレーでまちを元気に」などという見出しで地方紙に掲載されたこともある。
「カレーキャラバン」については、たまに学生が手伝ってくれたり、カレーを食べに来たりということはあったが、できるかぎり大学の仕事や調査・研究とはちがう位置づけをしていた。そもそも、あの疾走感のただ中に身を置いていると、カレーをつくる意味や必要性を問うのは無粋なことなのだ。(というより、カレーのことに集中しているので、そんな余裕はない。)
もちろん、説明を求められるようになって、少し(後付けのようにして)理屈を整理することもあった。そして、「ステイホーム」の体験を経て、「ともに食べること」の大切さは実感している。食べるだけでなく、一緒に野菜を刻み、鍋を囲んでおしゃべりするような時間は格別だ。じつは、とてもいい活動なのだと、自画自賛の気分になっている。
2012年の初夏、「カレーキャラバン」の活動が本格化していく予感だったので(そしてちょうど車検だったので)、大きなクルマに買い換えた。それから、クルマにスパイスと調理器具を載せて、いろいろな場所に出かけた。キャラバンの道連れに、ラクダのようなクルマだ。スピードも馬力も大したことはないが、荷物をたくさん積んで遠出するのにちょうどいい。12年経って、走行距離は16万キロ。地球を4周したことになる。最近は、点検に出すたびにあちこちに不具合が見つかって(酷使してきたので、あちこちガタが来ているということだろう)、そろそろつぎにバトンタッチということも現実的になってきた。

写真は2024年3月15日(金)まもなく12年。たくさん走った。
そして、『つながるカレー:コミュニケーションを「味わう」場所をつくる』(フィルムアート社, 2014)を出版してから、まもなく10年である。あれから、何を考えたのか。とくに「ステイホーム」を経て、これから何をすればいいのか。
12年目を終える節目で、あたらしく「カリーキャラバン」(ニュー・シーズン)をはじめることにした。「カレーキャラバン」は、正式に終了したわけでもなく、グループが解散したということもない。「無期休業」のようなもので、いずれまた、いつか、どこかで「カレーキャラバン」で集う日が来ることを信じている。その日のために「カレーキャラバン」は、そのまま。なにしろ、100回は続けようと話していたのだから、まだ続きはあるだろう。
「カリーキャラバン」は、「人とであい まちでつくる 旅するカレー」という精神を引き継いでゆく。解散はせずに、ソロ活動をはじめるようなものだ。具体的なことは決めていないが、少しずつ準備をすすめよう。
そんなつもりであれこれと考えていた矢先、ほんの数日前にメッセージが届いた。「カレーキャラバン」について取材をしたいとのことだ。「遅まきながら…」この取り組みを知ったと書いてあったが、全然、遅いなどということはない。地味な活動ではあるものの、12年前から、COVID-19に邪魔をされるまでは、熱をもって向き合ってきたのだ。一つひとつの場所で、設営から撤収まで、80回(番外編を除く)のカレーづくりの体験は身体にしみ込んでいる。それなりに記録も残してある。できるだけ「やりっぱなし」にせずに続けてきたことで、また見つけてもらうことができた。誰かがどこかで見ている(かもしれない)という淡い想いを抱いていれば、こういうことは、たまに起きるのだと思う。「たまに」だからこそ、なおさら「カリーキャラバン」をはじめる勇気が出た。背中を押された、と思った。
まずは、「カリーキャラバン」がはじまるというお知らせを。